ポーランド基本情報

・正式名称:ポーランド共和国 Republic of Poland(国名は「ポーレ(平野・耕地)」という語に由来し、「平原の国」とも言われています)
・首都:ワルシャワ
・人口:約3858万人
・面積:32.3万平方キロメートル
・人種・民族:ポーランド人、その他
・公用語:ポーランド語
・通貨:ズウォティ
・時差:日本時間から−8時間。ただし、サマータイム期間中は日本時間から−7時間です。
ポーランドのサマータイムは3月最終日曜のAM2:00(=AM3:00)〜10月最終日曜のAM3:00(=AM2:00)
・気候:西部は比較的温暖な西岸海洋性気候、東部は夏でも涼しい内陸性気候。日本と同じように四季がありますが、
夏も冬も気温は日本より低めです。
6月の平均気温は16.6度。雨量はポーランドの一年の中で一番多いと言われていますが、梅雨というほどではなく、
梅雨時の日本と違い、湿度が低く過ごしやすいです。
しかし突然の雷雨などが予想されるので、雨具はしっかり準備しておきましょう。
日中は暑い日もありますが、朝晩は冷えることもあるため、なにか羽織るものがあると良いでしょう。
・地理:東ヨーロッパの北部に位置しており、北東はロシアのカリーニングラード州とリトアニア、
東はベラルーシとウクライナ、南はチェコ・スロバキア、そして西はドイツと国境を接しています。
また北はバルト海に面しており、国土を横切って帯状に広がる湖沼地帯によって独立した地形を形作っています。
国名の通りに平原や湿地帯が多く、南部を除いてほとんど高い山はありません。
宗教:国民の実に92%がカトリック信で、この数字は世界一といわれています。
また教会の数もかなり多く、なんと11,784もの教会があるといわれています。
・日本からの所要時間:約11時間(直行便)

 

ポーランドの歴史

ポーランド王国の基礎が成立したのは、966年のこと。
そこから16世紀頃までは、ピャスト朝やヤギェウォ朝という王朝がポーランドを支配していました。
特にピャスト朝は、民衆をキリスト教に改宗させ、ポーランドにヨーロッパの文化圏の仲間入りを果たさせました。
しかしモンゴル軍やドイツ騎士団の度重なる侵攻によって、王朝は終息を迎えます。

・ポーランド・リトアニア共和国
これまでポーランドを支配していたヤギェウォ朝は、共に連合軍として戦っていたリトアニアと国を統合することに決め、
1569年、「ポーランド・リトアニア共和国」が生まれました。
この国は1795年まで共和国を名乗り、最初の国王には後にフランス王となるアンリ三世が選出されました。
ふたつの国が統合されたことにより領土は当時ヨーロッパ最大、最も華やかな時代でした。
しかし、他国介入による政治の混乱やオスマン帝国の侵攻などによってその勢いは徐々に衰えていきました。

・ポーランド分割
1772年、衰退していたポーランド・リトアニア共和国は、もはや抵抗する術もなく、領土を譲渡することになります。
隣国のロシア・プロイセン・オーストリアの三国によって、国土の約4分の1と人口35%を失いました。
その分割からポーランドは再び単一国家に戻りました。
その際に、ポーランドはヨーロッパ初の憲法を制定しています。

しかしその憲法をきらい、再度ロシアとプロイセンが介入し、抵抗も虚しく二度目の分割が行われました。
この頃のポーランドは、事実上ロシアの属国でした。1793年、ポーランドは領土を25万平方失いました。
さらに、分割は続きます。民衆の反乱を鎮圧するため、ロシアは三度目の分割を行いました。
一度目の分割と同様、ロシア・プロイセン・オーストリアの三国によりポーランド全土を分割。
これにより、ポーランド王国は消滅することになりました。1795年のことでした。

・独立までの道程
ポーランドの独立までの過程は過酷なものでした。
1807年、ナポレオン戦争によりフランスの傀儡国家ワルシャワ公国が誕生し、多くのポーランド人が独立を夢見てロシア軍と戦いました。
しかし敗北に終わり、ナポレオンは失脚しました。
また、1830年・1863年とポーランド人は大きな蜂起を起こしましたが、すべて鎮圧されました。
1871年にはビスマルクによるポーランド人抑圧政策が始まり、ポーランド文化までもが失われていきました。
しかしこれらの苦難が逆に、ポーランド人の連帯感を強め、カトリック信仰をより強めていったようです。

・ポーランド第二共和国
独立までに困難を極めたポーランドでしたが、1918年、ついに悲願の独立を果たします。
三度目の分割で消滅してから、実に約123年の月日が経っていました。
1914年の第一次大戦中にロシア革命が勃発したことにより、1915年のドイツ軍侵攻に対抗できず、ポーランド全土は放棄されました。
そこからドイツの占領下となりましたが、1918年にドイツが敗戦。その年の11月11日に、ポーランド第二共和国が誕生しました。

・ポーランド人民共和国から、ポーランド共和国へ
しかし独立してからも平坦な道程ではありませんでした。
かの有名なヒトラー率いるドイツとロシアにより、1939年9月1日と17日、ポーランド侵攻が行われました。
これに先立ち、3月15日にスロバキアを解体併合していたドイツを牽制するため、ポーランドはイギリス・フランスと同盟を結んでいました。
そのため、ポーランド侵攻が行われるとイギリス・フランスはただちに宣戦布告。
これにより、第二次世界大戦が勃発しました。
それから約一ヶ月足らずでポーランドは再度ドイツとロシアにより分割占領されることに。

大戦が終わった1945年以降は、ロシアが再度多大な影響を及ぼすこととなり、共産主義が広がりました。
この頃のポーランドは、人民共和国でした。
しかし、共産主義は間もなく終わりを迎えます。
1989年、ポーランドは人民共和国ではなく共和国となり、現在に至っています。

 

ポーランド語

例え片言でもポーランド語を話すとポーランド人はとっても喜んでくれます。
日本人だって外国人にこんにちは、ありがとうと日本語で言われれば親近感を覚えますよね。
郷に入れば郷に従え、英語がかなり普及してきたポーランドでも、挨拶ぐらいはポーランド語で挑戦してみては如何でしょう?

「ありがとう」や「どうぞ」には「とても」、「たくさん」を意味する「バルゾ」を付けられます。
「どうもありがとう」の場合には、「バルゾ ジェンクイエン」または「ジェンクイエン バルゾ」となり、順番はどちらでも構いません。
ただし、「バルゾ」は乱発せず、本当に強調したい場合にだけ使うと良いでしょう。
また、「バルゾ」の代わりに「セルデチニェ(『心より』の意味)」を使うと、より丁寧で豊かな表現になります。
例えば「ウィタム セルデチニェ(心より歓迎します)」などです。(セルデチニェがバルゾの代わりになるという意味ではありません)
「おはよう」や「よろしく」、「お疲れ様」のような言葉はありません。
朝でも「こんにちは」と挨拶しましょう。

はい / いいえ
タク / ニェ

OK・グッド
ドブジェ

こんにちは
ジェン・ドブリィ

こんばんは
ドブリィ・ヴィエチュル

はじめまして
ミウォ・ミ

お元気ですか?
ヤク・シェン・パン(パニ)ミェヴァ?

全て順調です・問題ありません
フシストコ・フ・ポジョントゥクー

まあまあです
タク・ソビエ

相変わらずです/変わりありません
ポ・スタレムー / ニッツ・ノヴェゴ

どうぞ
プロッシェン

ありがとう
ジェンクイエン

どういたしまして
ニェ・マ・ザ・ツォ

さようなら
ド・ヴィゼーニャ

おやすみなさい
ドブラーノツ

また明日
ド・ユトラ

あなた(男性)/ あなた(女性)
パン / パニ

皆さん
パンストフォ

すみません・ごめんなさい
プシェプラッシャム

大変申し訳ありません
プシェプラッシャム・ナイモツニェイ

どうぞお許しください
プロッシェン・ミ・ヴィバチチ

どうぞお入り下さい
プロッシェン・ヴェイシチ

お待たせしました・遅れてすみません
プシェプラッシャム・ザ・スプージニェーニェ

ちょっと待って下さい
プロッシェン・ポチェッカチ

お願いがあるのですが
マム・プロシベン

お会いできて嬉しいです
ミウォ・ミ・ポズナチ

ようこそ
ヴィタム

それではまた
ド・ゾバチェーニャ

お大事に
プロッシェン・ウヴァジャチ・ナ・シェビエ

わかりません(理解できません)
ニェ・ロズーミェム

わかりません(知りません)
ニェ・ヴィエム

(「ヤッポランドーポーランド情報センター」より抜粋)